まず、石井ちゃん、このような場所をつくってくれてありがとう。

なにから書き出せばいいのか分からないし、でも書きたいことは山ほどあって。
未だに、高浜先生、ボスが亡くなったという事実がほんとに事実なのか、知らせを受けた日からずっと悪い夢を見続けているような感覚です。

浪人中の私は卒業後も時々高校に行って、ボスに作品を講評してもらっていました。最後に会ったのは去年12月の半ばで、自分の作品が理解できず、納得できずで苦しんでいる時期でもありました。
そんな時、特にデッサンについて言われた事が印象的でした。「現役の時の作品のような感動がないね。こんなかんじの。変な病気にかかってない?」
私が現役の時描いた奴隷、高校の参考作品にしてくれたものを持ち出してそう言ったのです。
その時自分が見事な浪人病にかかっていたことに気が付きました。目の前のモチーフに感動して、感じて描くことを忘れ、ただ事務的に形を合わせて受験的なデッサンをこなす。
ボスのこの言葉がなかったら、未だに浪人病を抜け出せなかったかもしれません。
その日から、私の中で何かが変わり、デッサンも着彩も段々良いものが描けるようになってきました。
でもこれは、「ボスに感動してもらえるようないい作品を描きたい」と強く思うようになったからでもあります。
描きあげる度に、「きっとこれはボスも感動するぞ。早く見せに行きたい!」そう思うようになっていったのです。
受験的な絵ではなく、単純に、人を感動させる絵画。ボスの存在が自然と私を導いてくれました。
「いいのができたら参考作品にするよ」
にやにやしながら、優しい表情でそう言っていたボスを覚えています。
だからあの日から必死でやってきたのに、もう見てくれる先生はいない。その事実が受け入れ難い。
高校にいけば、またあの優しい顔で、ラジオのかかったごちゃごちゃの絵画準備室に迎え入れてくれる、そんな気がしてなりません。ボスがいる安心感のある、大好きなあの空間。


思えば高校時代も散々迷惑をかけてきました。
高美展で絵にケチつけられてボスに暴言を吐いたこともあったし、美術史の授業は最前列だったのに毎回居眠りして叩き起こされたし、自分の愚痴を聞いてもらうために忙しい時間を割いてもらったり…
わがまま放題して、恩返しなんてできずに終わってしまいました。
これからもっと大人になれば恩返しもできるだろうし、もっと美術のことを知れば、ボスとも深い話ができるだろうな。よぼよぼのおじいちゃんになったボスにお菓子もって会いに行こう。
そうやって当たり前に考えていました。そうなるのが必然だと思っていました。
でもしんでしまったから、全部できません。
ほんとうに、悲しいです。ボスの存在は、本当に大きかったと失ってから痛感したのです。
ボス存在は私の中だけではなく、在校生、卒業生、その他たくさんの人達皆さんの中でも大きな存在だったのでしょう。お通夜の人の多さに驚きましたが、あの偉大なボスなら当然かな、とも思いました。

亡くなったボスは、私がどうなったら喜んでくれるか考えました。出た答えはやっぱり、ずっと行きたかった大学に受かって人を感動させる絵を描きつづけることです。
私にできる事はこれしかないけど、これが一番の恩返しになるのではないか。そう思っています。

高浜先生を、私はずっとボスと呼んでいました。
なんだかそれが一番しっくりくるのです。
ボスは私のボスで、人生の、美術の大先輩で、永遠に超えることのできない存在です。
生涯、ボスとの思い出を忘れることはないでしょう。


願いが叶うなら、最後にもう一度、あのにやにやしたクセのある笑顔が見たいです。
そしてボスにしか言えない、今もっとも心に響く言葉をかけてほしいです。


最後に、美術を人生の重きにして生きていくと決めた私を、どうか見守っていてください。
本当に、お疲れ様でした。ありがとうございました。ずっと大好きです。

大宮光陵美術科24期 日本画科
河邉依莉乃